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[No.110]
 それは、死に至る病[1]
【登場人物】
トルネコ、アレン、リア

長い長い死者のリストが紡がれ終えて、アレンは小さく息をついた。
彼の歩む道を変えさせた、その名を継いだ少年の名が呼ばれたことには感傷を。
眷属なる竜の名が呼ばれなかったことには安堵を。
かの少年の祖にして、宿敵なる勇者の名が呼ばれなかったことには到底言葉にはし尽くせぬ複雑な情を。そして――
隣でふうと大きく溜息をつくのが聞こえて、ふつとアレンの物思いは途切れた。

「誰ぞ、知己でも呼ばれたか」
「……ええ。まぁ、そうです」

トルネコはうっそりと笑う。
いかにも商人らしい、人好きのするいつもの笑顔も、今は流石に曇り、精彩を欠いていた。
そうか、と短く答えてアレンはそれ以上問いを重ねようとはしなかった。
気遣いなのか、ただ単に興味が失せただけかは分からなかったが、トルネコにはそれが有難かった。
(しかし、魔族の方というのは皆さんこのように寡黙な性質なんですかね)
ごく短い間なれど共に旅した魔王を思って、トルネコはまたも溜息をつく。

此処に連れて来られてまだ半日。
その半日ばかりの間に、トルネコの知る人はもう三人も死んでしまった。

ロザリー。見せしめに主催者に殺された、エルフの乙女にして魔王の想い人。
朝露に濡れた若葉の瞳が、咲き初めの薔薇のような可憐な唇が、
どんよりと曇り、何かを言いたげに開いたまま空を仰ぐのを、魔王の嘆きを思い出し、トルネコは身震いした。
魔王は――ピサロは、かの乙女を深く愛していた。
だからこそ、恐ろしい。
かつて彼女を失った時、禁断の秘術に手を出し、身も心も化け物と成り果ててしまったように、
再びの彼女の死が、またも彼を狂わせてしまったのではないか、と。
(どうか、ロザリーさん。彼が道を違えないよう、見守っていてあげて下さい)
ピサロの魔力と知識は、此処から脱出するにしても、主催者と戦うにしても、大きな助けとなるだろう。
そんな打算としても、仲間の情としても、彼が狂気に魅入られていないことを願わずにはいられない。

ルーシア。空から落ちてきた天空人の娘。
彼女がたまたまそうだったのか、それとも古くから地上と関わることを禁忌としていたためか、
どうにも世間知らずでぼんやりとした、不思議な少女だった。
異邦である地上に一人落ちて、不安でないはずもなかろうに、
そんなことよりも初めて見聞きするものに目を輝かせていたことを覚えている。
その好奇心旺盛なところが、かのおてんば姫と気が合った所以なのかもしれない。
そう、そしてもう一人。

(まさか、アリーナさんが亡くなられるとは)
自分と同じ“導かれし者”として、長らく同じ旅路を辿った少女の名は、トルネコをひどく打ちのめした。

故郷を、親を、師を、幼なじみを失った勇者に、父の仇討ちを誓ったジプシー姉妹。
ともすれば重くなりがちな道行を和ませたのはアリーナだった。
彼女自身も重い使命を抱えていたのに、そんなことはおくびにも出さず、いつも明るく振舞っていた。
そう、魔王の同行が決まった時も、どう接するべきか考えあぐねていたトルネコたちを尻目に、彼女は真っ先に魔王に微笑み掛けた。
思えば、それで皆はピサロを受け容れたのだ。
故郷を奪われた勇者と、父を、国民を奪われたアリーナと。
二人が彼を許すと言うなら、自分たちには断罪する権利はない。
本来なら、王城の奥深くで絹と天鵞絨に包まれて過ごしていたはずの高貴な身分、可憐な少女の姿に、誇り高い、猛き戦士の魂を持った姫君。

気がかりなのは、そのアリーナを妹のように、そして女性として慈しみ、愛していた若き神官のことだった。
クリフトは決して頭は悪くないが、生真面目な性質故か、少しばかり暴走しがちなところがある。
アリーナの訃報を聞いて、思い余って自害でもしていなければいいが。

と、背後で小さく身じろぐ気配。
振り返ればちょうど少女が身を起こすところだった。
細い首に刻まれた魔物の爪痕が何とも痛々しい。 
少女はまだぼんやりした様子で、所在なさげにおろおろと辺りを見回し、トルネコを見上げた。

「……ビアンカさんは?」
「はて、それは」
誰のことですか、と聞き返しかけて、それが女性の名であることと、少女の縋るような目に、ぴんときた。
――では、これはあの勇敢な娘さんの名前か。
トルネコを、少女を庇い、命を落とした女性。
せめてきちんと葬ってやりたかったが、魔物の自爆呪文に巻き込まれ、遺品どころか遺体の一片すらも残ってはいなかった。
沈黙と顔色から察したのだろう、少女の眼にみるみる涙が溜まり、トルネコは慌てた。

「ああ、お願いですから泣かないで下さいよ。えーと……リアちゃん、でしたかな?」
女性が少女を呼んでいた名を記憶の中から引っ張り出して、
昔息子をあやした時のようにリアの背中をそっと撫でる。

「私にも息子がいましてね。だから子供に泣かれるのは辛いんですよ」

『私にもね、子供がいるの。リアちゃんの方がちょっとお姉さんかな』
その声に、ビアンカの言葉が重なって、リアはぎゅっと目を瞑った。

『男の子と女の子の双子でね、レックスは――息子は一緒に此処に連れて来られちゃったんだけど。お父さん似のすごい癖毛で、でも私と同じ色彩をしてて』
優しく背中を撫でながら、『ねえ、リアちゃん』とビアンカは歌うように言った。

『あの子と会えたら、仲良くしてあげてね』
今もリアを撫でてくれる優しい手はあるけれど、それはもう彼女ではない。

促されるままに暫く啜り泣き、ようやく気分が落ち着くと、
自分がもっと小さい子供のようにぐずっていたことが急に気恥ずかしくなって、
リアはそっとたっぷりした腹を押しやった。

「もう大丈夫ですか?」
「うん。……あの、ごめんなさい。助けてもらったのに急に泣き出したりして」
「いいんですよ。それに、私もアレンさんに助けられたようなものですからね」

アレンの名に、リアははっと顔を上げた。
気を失う寸前に見た、自分を庇う背中。あれは幻ではなかったというのか。

「そうだ、まだ名前を言っていませんでしたね。私はトルネコ。そしてあちらが」
(アレンお兄ちゃん!)
勢い込んで振り向いたその先にいたのは、しかしリアの知るアレンではなく。

「……違う」

我知らず零れた言葉に、リアの知らないアレンがすっと目を細めた。
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