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[No.2]
 はじまりのその前に
【出展元】
没ネタ投下スレッド>>221-228

「ほら、リュカも来なさいよ!なんて綺麗な月」
 バルコニーの欄干に身を預け、振り返ったビアンカがふわりと微笑う。
普段はしっかりと編みこまれた、月よりもなお輝く波打つ髪が夜風に揺れて、リュカはふと目を細めた。

 先の王妃の誘拐に伴う王の出奔。
実に二十年近い歳月を経て、花嫁を連れようやく帰ってきた正統なる王の息子は、
かつての彼の両親と同じように連れ去られた妻を追い、行方知れずとなり、更に十年。
 だが、その長きに渡る正統なる王を欠いた冬の時代も、ようやく終焉を迎えた。
 どんな手妻か竜神の加護か、十年前と変わらぬ若さを誇る正統な王と、天の娘なる麗しの王妃、
幼子なれど、天空の勇者の再来なる兄王子と、比類無き魔導師である妹王女。
魔王を討ち、魔界からの帰還を果たした四人を頂いて、グランバニアは久方ぶりの平穏に酔っていた。

 いや、何も平穏に酔っているのは国民ばかりではない。
つい先ほどまで両親の間に挟まれて話をねだっていた小さな双子は、今はすやすやと健やかな寝息をたてている。
 子供たちももう十歳。普通ならばそろそろ親離れしたがる年頃なのだろうが、長いこと親元から引き離されていた
(正確を期すならば、自分たちの方が子供たちから引き離されたとするのが正しいのだが)
子供たちは、その埋め合わせをするかのように、片時も両親の傍を離れない。
小さな王女が何やらむにゃむにゃと呟いて、愛おしさに頬が緩む。

 出来ることなら、この穏やかな日々がいつまでも続けばいい。

「もう、リュカってば!」
「すぐ行くよ、ビアンカ」
 物思いから覚め、苦笑する。
最愛の子供たちと同じくらい愛しい妻の機嫌を損ねるわけにもいかない。
寝台から立ち上がろうとついた手の、夜着の袖がきゅうと引かれてリュカはぱちりと瞬いた。

「レックス。まだ起きてたのかい?」
「えへへ……だって」
 もっと父さんと母さんと話したかったんだもん、とレックスは悪びれもせず笑った。
起き出して来ないところを見ると、タバサの方は本当に眠っているのだろう。
一つ溜息をついて、リュカは妻にどうしようかと視線で訊ねた。
 何処の国でも、たとえ王族であっても、子供の教育に熱心なのは妻の方だと相場が決まっている。
その例に漏れず、家庭においては第一の権力者であるところのビアンカ王妃は、美しい弧を描いた眉を寄せて――やがて小さく肩を竦めた。

「……仕方ないわね。レックスもいらっしゃい」
 女帝陛下のお許しが下り、晴れてレックスは小さく歓声をあげてリュカの腕に飛びついた。
その大分重くなった身体をぶらさげて、リュカは小さく笑う。
 普段は“お兄さん”であるレックスはタバサの手前、両親になかなかくっつけないから、レックスは時折こうして妹の寝ている隙に思う存分両親に甘える。
親としては子供が夜更かしするのを喜ぶべきではないのだろうけれど、甘えられるのは素直に嬉しい。

「その代わり、明日は寝坊しないこと。いいわね、レックス」
「ええーっ」
「返事は“はい”でしょ!」
 母親らしい小言を零す、ビアンカの声音にもまた紛れもない喜色が溢れていて、リュカはまた笑みを浮かべた。

 ほら、とビアンカの指す月は見事な真円を描いていて、
まるで磨き上げたコインのようにぽかりと夜空に浮き上がって見えた。

「……ちいさなメダル型チョコみたい」
 若しくは蜂蜜クッキー、とレックスがぼそりと呟く。
なるほど、黄金色のまあるい月は確かにちいさなメダルにも、たっぷり蜂蜜をかけた丸いクッキーにもよく似ている。
メダルそのものよりもそれを模したチョコレートが先に出てくる辺りは、やはり食べ盛りの子供ならではと言うべきか。

「チョコの方はすぐには用意出来ないけど、
 なら明日のおやつはサンチョにクッキーでも焼いて貰おうか?」
「リュカ!」

 またもビアンカが眦を吊り上げた。
パパスの代わりに小さなリュカの世話を一手に引き受け、また双子を幼い頃から見守り続けたこの老従僕は、
今やただの使用人の一人ではなく、家族の一人として遇されているようなところがある。
言わば、リュカの“もう一人の父”であり、双子たちの“もう一人のおじいちゃん”。
そして、世の祖父母たちの例に漏れず、孫のような存在である双子たちには滅法甘い。

 その上、家事上手のサンチョが作る菓子類はそこらの店の物よりよほど美味しく、
ついついお腹に詰め込みすぎて、晩ご飯が入らなくなることもしょっちゅうだった。
――他でもないリュカとビアンカも、幼い時分はそうして叱られたものだったが。

「もう、またそうやって甘やかして……」
「いいじゃないか」
 息子を抱えるのとは逆の腕で妻の肩を抱き寄せて、耳元で囁く。
「もう少しだけ、甘やかしていてあげたいんだよ」

 何も、引き裂かれていた十年近い月日の溝を埋めたいのは子供たちばかりではない。
リュカだって子供たちが可愛くて可愛くて――失われた時間の分も甘やかしてやりたくてたまらないのだ。

「……虫歯になったらあなたの責任よ?」
 唇を尖らせ、だが満更でもなく呟いて、ビアンカは素直に夫に身を預けた。
ビアンカとて、子供たちが愛しくて構ってやりたくてたまらないのは同じである。
ただ、父のそれとは違って、母の愛情はちょっとばかり過保護とも言えるほどの熱心な教育の形をもってもたらされることが多かったが。

 親子は身を寄せ合って、雲が月を覆い隠していくのを眺めていた。

 同時刻。
遥か海を隔てたサラボナで、一人の女が同じ月を見上げていた。

 年の頃は二十の後半。もう娘と呼べるほど若くはないが、
娘時代はルドマン氏の掌中の珠、清楚ながらも艶やかな白薔薇のようだ、と称えられた美貌は
年月を経て女らしい艶を増し、ますますそれを際立たせていた。

 長く垂らした絹糸のような髪の一筋が頬に影を落とす。
つと優美な仕草でそれを払って、女は――フローラは溜息をついた。
物憂げな美貌は甘やかに見る者の胸を締め付けるが、その吐息は苦く切ない。

「……どうして」
 こんなことになったのだろう。
誰にともなく発せられた問いに、当然答えが返ってくることはない。
もとより、彼女はその答えをもう知っていた。

 何不自由なく育った富豪の娘。
他人は彼女をそう評したし、フローラ自身それを疑ったことはなかった。
自分を愛してくれる両親。求めれば、手に入らない物など無かった――ただ一つを除いては。
そして、そのただ一つこそが、本当に欲しかったたった一つの物であり、
この満たされぬ心の原因なのではないか。
 フローラは目を閉じて、その日のことを思い浮かべた。

 涼やかな眼差しをした、優しい人。

 一目惚れだった。
 フローラ以外には決して馴れないはずのリリアンが不思議と彼には懐いて、
きっとこれは運命なのだと確信した。
その彼が自分の求婚者の列に並んでいるのを見て、フローラの胸は喜びと、彼に危険なことをさせたくないとの不安に張り裂けんばかりだった。

――だが、彼は彼女を選んではくれなかった。
 試練を終えてサラボナに戻って来た彼の隣に、当然のように控えていた女。
ビアンカ。彼――リュカの幼馴染だという、金髪の娘。

 組んだ手を強く握り締める。
ぷつと鈍い痛みが走って、薄い皮膚を突き破られた左手の甲に血が滲んだ。

 それでも、最初は祝福出来ると思っていた。
この熱病のような恋情も、二人を見送った後のぽかりと空いた心の虚も、
全て少女らしい初恋の思い込みの激しさ故だと、そう割り切ろうとした。
 幼い頃から一途に自分を慕うアンディの想いを受け入れたのも、
自分を愛してくれる人と共にいれば、この心の虚も埋まるだろう、いつか愛を返せるようにもなろうと、それ故だった。
 アンディは良き夫であったと思う。仕事熱心で、かといって家庭を疎かにすることもせず、
たとえお嬢様育ちのフローラが満足に家事をこなせなくとも、とやかく言うことはなかった。

 だが、それでも。フローラには彼を愛することが出来なかった。
注がれれば注がれるほど、優しさも愛もフローラを苦しめ、共に過ごす時間が長くなれば長くなるほど、違和感は誤魔化しようもなくその強さを増し、心の虚に吹き込む風は心を冷やした。

 せめて子供を授かればこの虚も少しは埋まるだろうか。
だがそんな思いを裏切るかのように、いっこうに子供を授かる気配はなかった。
――子供がいれば、きっと叶わぬ夢を見て傷付くこともなかったのに。

 かつてと変わらぬ若さのままでサラボナを訪れたリュカが、妻が行方知れずなのだと告げた時、
子供を授からなかったのは彼の後添いになるためだったのだと、フローラは本当にそう思った。だが。
 季節が一巡りして、再びサラボナを訪れたリュカの隣には幸せそうに微笑むビアンカの姿があった。
 想いはまたも裏切られた。

 あの日のビアンカの姿を思い浮かべる。
フローラが虚ろな心を抱えて無為に重ねた年月も感じさせぬ娘姿のままで、愛しい夫と子供たちに囲まれて。
その影で泣く女のことなと、何も知らない清い顔のまま。

――どうして、あそこにいるのが私ではいけないのだろう。
――何故、彼と結ばれるのが私ではいけなかったのだろう――?

 一度浮かび上がった疑念は、フローラの心をどす黒く染めていった。
このまま、生きていくほかないのだろうか。
ただ無意味に年齢を重ね、憎しみだけを湛えた虚ろな心を抱えたまま。

 ぞくりと背中を走る寒気に、フローラは思わず己の身体を抱きしめた。
少し夜風にあたりすぎたか、今まで気にならなかったのが不思議なほど彼女の身体は冷え切っていた。
そろそろ部屋に戻ろうと顔を上げて、ふと気付く。



 夜空に浮かぶ月は、血のように紅い。



 『紅い月は凶兆』。
幼い頃に聞かされた言い伝えが脳裏を掠め、フローラは反射的に踵を返し――だが、その衝動を意志の力で押さえつける。
逃げて、それでどうなるというのだ。
もはや何の色彩も見出せない灰色の日常に、一体何の価値がある?

――もう、どうなってもいい。

 魅入られたように、フローラはその白い腕を空へ伸ばした。

「……やだ」
 雲の晴れ間から覗く月は禍々しいまでに紅い。
怯えたように口元を押さえた妻の髪を宥めるように撫でて、リュカもまた月を見上げた。

『紅い月は凶兆』。
 たかが言い伝えだ、と笑うのは容易い。
だが、竜神や魔界の存在すら知る彼は、人智を超えた力というものが存在することを知っている。

「風邪をひかないうちに戻ろう。レックス」
「はぁい」
 素直に部屋に駆け戻っていく息子を見送り、リュカはまだ不安げに空を見上げる妻に手を差し伸べ――硬直した。
紅い月光に晒されたビアンカの身体が、まるで幼い頃見た妖精のように透けている。
そして、彼女に向けて差し出した己の腕も、また。
――また、引き裂かれてしまう。

「――リュカぁっ!」
「ビアンカ!?」
「お父さん、お母さんっ!!!」

 無我夢中で伸ばしたリュカの手がビアンカを捕らえ、抱え込むように抱き締める。
異変を感じたレックスが父の背中に飛びついて、その手が夜着の端を掴み――
その瞬間、国王夫妻と王子の姿は、まるではじめからなかった者のように掻き消えた。

 そして後にはただ一人、何も知らない王女だけが取り残される。
>to be continued
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