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愚かなる戦士たちの輪舞

愚かなる戦士たちの輪舞


登場人物
アレフ、ピサロ、フォズ、エイト


屋内に、荒野が広がっていた。
既に物と呼べるものは悉く破壊され、一刻ほど前の面影すら最早ない。
それは、生と死の狭間。
一つ道を誤れば、瞬く間に奈落の底へひきずりこまれてしまいそうな…
そんな冥府への入り口の、ほんの一歩手前。

そこは、アリアハンより遠く離れた場所
そして、この世界で最も天に近いナジミの塔…その最上階。
「届いたよ、君の声」
少女を呑み込まんと口を広げた死神は、しかし二人の勇者によって阻まれた。

「俺たちが君の力になる。君は、無力なんかじゃない」
 
 
…氷に身を固めた軍靴の響きが遠のいてゆく。不死鳥の盾が死を拒んだ。
マヒャドを防ぎきると、ピサロを一瞥した後、倒れ伏したフォズの前でアレフが跪く。
「どうやら間に合ったようだな…うん、意識もある」
少女の瞳におさまったのは彼の顔と、どう見ても完治していないその左足。
あなたは、その体でどうしてここまで?とフォズは言おうとしたが、
そんなことは問題ではないと、有無を言わせない雰囲気を目の前の勇者は醸し出していた。
それ以前に歯が折れ、痛みと冷気で感覚が麻痺し、
一言も口にできない状態になっていたのも事実だったが…

そんなフォズの姿を見て、アレフは思った。酷い顔だ、と。
勿論幼くとも相手は女性である。口にするはずもないけれど。
美人と言う範疇ではないが、十分に人目を引く可憐な顔立ちが今は血痕に赤く染まり、
何度も強打されたために痛々しく腫れ上がっている。

酷い有様だった。しかし、本人もそれを、命すら捨てることも覚悟の上だったのだろう。
そっくりそのままにフォズが言葉にできなかった問いを返してやりたいくらいだった。
『何が君をそこまでさせるのか』…と。
もっとも答えはわかっている。その気持ちは一途でもあり、頑固でもあり、
…そして愚かだとも言えただろう。少なくともその逆ではない。
しかし、その懸命さをアレフは貴重に思い、守ってやりたいと思った。
だから、彼は今ここにいる。

アレフはフォズに軽く笑いかけると立ち上がり、もう一人の戦友に依頼した。
「君はこの子の介抱をしてやってくれ。デスピサロには、俺があたる」
「…やっぱり、そう来ますか」
掌に白き癒しの光を灯らせたエイトが軽く息を吐いた。大方予想通りの反応だった。
確かにこの少女の怪我はひどく、応急の処置が必要であり、
同じ治療に時間をかけるのならば、ベホマが使える自分の方が適役なのは事実だが…

「無茶をするって、言いたいわけか?」
「ええ、思います。思いますけど、止めませんよ。
 言ったところで聞き入れてくれるあなたでもないでしょうし」
もう一回だけため息をつくと、エイトはむしろアレフに向かって微笑む。
全く何て強情なことか。『あの人』そっくりだ。似たもの同士にも程がある。
でも、その向こうみずさ故に、この人とあの人は互いに惹かれあったのだろう…
笑声を立てることなく、その表情を以ってエイトはアレフの意思を尊重する。
そして数瞬の後、普段は柔らかな瞳が歴戦の勇士に相応しい真剣さを帯びた。

「無理をするなとは、もう言いません。
 力を抑えられるあなたでも、抑えて倒せる相手でもないでしょうから。
 ならばいっそ…死なない程度に、思い切り無理をしてください。
 その結果どんな状態になったとしても、命ある限り、必ず僕が治して差し上げます」
「頼もしいな。仮にロトの装備を揃えて、全身を固めたとしても、
 これほどの心強さは得られないかもしれない」

いささか気障っぽく、しかし決して冗談ではない表現でアレフは応えた。
もちろん現実の問題として、この回復呪文が大幅に制限された世界において、
『どんな状態になっても治す』は不可能である。既にわかりきったことだ。
事実、救いたかったのに救い得なかった命の散華を、二人は目の当たりにしてきた。
しかし、それでもなお、エイトは言わずにはいられなかったし、
アレフも彼を心から信じたく思ったのだ。
 
 
方針は決定した。頼んだ、頼みましたよ。ほとんど同時に互いに声をかけ、
自らの果たすべき役割を心に刻み込むと共に、もう一方を得がたい戦友に託したのだった。

…その一連の様を、ピサロはただ呆然と眺めているわけではなかった。
なかったのだが、結局何一つ為すところがなく、自らの不明さに歯噛みすることになる。

状況は限りなく悪い。アレフもさることながら、あのエイトとかいう男もまた、
あの丁寧な口調を以って自らの本質を隠すベールとしているかのような、
とんだ食わせものであることを、ピサロは思い知った。
フォズの身柄を確保し、アレフと言葉を交わす。その時間は決して長くはなかったが
戦場ではそれは十分すぎるほどの猶予となりうるはずだった。
僅かでも隙を見せれば、こちらが二人を襲うことも、あるいは体勢を立て直すことも
可能であったはずなのに…あの男は、エイトはアレフと会話しつつ、
銀髪の魔王を常に視野に収め、牽制を入れるのを怠らなかった。
せめて五秒、いや三秒もあれば、最低でもピサロは自分のザックの中から
エルフの飲み薬を取り出し、自らの魔力を回復させることもかなったはずだったが…

(エルフの飲み薬か…)

軽く舌打ちした。何から何までは裏目に出ていることを、ピサロは思い知らざるをえない。
自らの体調を万全に期すことを最優先と思うならば、
やはりあの霊薬を迷うことなく使うべきではなかったか?
いざという時の切り札になると思って控えていたが、
まさかここまで時間的猶予を奪われることになるとは予想だにしなかった。
結局、今がそのいざという時であるのに、カードを切ることもできないまま
薬は主に何一つ益をもたらすことなく、袋の内で虚しく惰眠を貪っている。

ピサロは智将であった。長い魔族の系譜の中でも五指に入る実力の持ち主と言えた。
しかし、智者は時として自らの智におぼれてしまう。
世界に名だたる実力者が意外な人物に足元をすくわれ、舞台から退場してしまうことが
実際に起こりうることは、既に歴史が幾度となく証明している。
遙か彼方を見据えて歩いていたら、次々と現れた足元の小石につまずいたようなもので、
深謀遠慮の振りをした間の抜けた行為とも見える。
…少なくとも今の彼には、自らがそう思えてならなかった。

だがしかし!ピサロは奥歯を強く噛み締める。
状況は悪い。だが、それがどうしたというのか?
この程度で諦めるほど脆い胆力の持ち主で彼があったならば、
魔族の王など元から務まろうはずもない。

顧みれば、魔族の歴史はおよそ順風満帆とは程遠い。
猛々しい力と豊かな叡智と、そして人間など到底比類しえない長寿を兼ね備えながら、
その能力に相応しいだけの世界を与えられなかった魔なる者たち。
なれど、それに耐えて生き抜いてきた彼らではなかったか?
逆境こそが彼の本分。虎は…手負いになってからが本領なのである。
 
 
痛みに疼く足をものともせず、アレフは前に進んだ。
その動きに並行して、ピサロは傲然と立ち上がる。互いが互いを見据え、睨みつけた。
時を変え、場所を変え、相手をも変えて、
白銀の魔王は、髪こそ黒だがやはり紋章の中に金色を抱く勇者と再び対峙する。
沈黙の静はやがて激動へ。戦いの幕開けと共に、ピサロの姿が忽然と消えた。

「!!」
フォズの治療を続ける姿勢のままエイトは目を見張った。消えたのではない、見えないのだ。
厳密に言えば、全く捉えられないわけではない。
この場に馳せ参じて以来ずっと『敵』の動きを注視していた彼だったから、
こちらを撹乱すべく上下左右、縦横無尽に動き回るピサロの姿は見える…かろうじて。
アレフから聞いた話では、彼はかなりの深手を負っていたと言うことだった。
駆けつけて確認した姿から、その傷が治癒できていないことも明白だった。
しかし、それならば今目の前で繰り広げられている状況をどう説明すればよいのだろう?
恐るべき男だ。エイトは息を呑んだ。しかし、直接攻撃の対象となったはずのアレフは違う。
(やはり、そうきたか)
予想以上ではあっても、予想外では決してなかった。

回廊の時とは違って、今回のピサロの行動はアレフの予測の範囲に収まるものだった。
今この場で戦うとしたら、その手段は限られている。
互いに武器はある。しかし直接切り結ぶにしては、
アレフの手にあるのはエイトの故郷の至宝だと言う竜神王の剣。
片や、ピサロが持つのは市販の鎖鎌にすぎない。
長く使えるようにと、丈夫さだけは取り柄だが、そもそも剣ですらないので、
相手の攻撃を満足に受け止めることもできず、接近戦にはまるで向いていない。

それだけに、ピサロの選択肢は大きく二つ。一つは距離を置いて呪文による波状攻撃。
そしてもう一つが、奇襲。はかどらぬ治癒の状態からして
残る魔力も乏しいと見えるピサロは、まずは後者を選んだというわけだ。
急所さえ突けば、世界に誇る名剣だろうが、
あるいは質の悪い量産品だろうが関係なく、人は殺せるもの。
投擲することで剣以上の間合いを持ち、さらに軌道の変幻も可能であり、
しかもここは影を生む母体に事欠かぬ屋内。かの闇の衣を身に纏うピサロとしては、
まずこちらの手段を取るのはある意味当然の帰結だったのだ。

(畏れるな、慌てるな)
アレフは静かに構える。
…どれだけ動き回ったところで、あいつの狙いはわかりきっているはずだ。
この俺の体を貫くことだけ。的は、ここにしかない。
影の暗殺者との戦いには、アレフガルドにいた頃から、とうに慣れているだろう?
周りを気にすることはない。あいつの動きに惑わされることもない。
空気の流れを読め。自分に刃が迫る、その瞬間だけを捉えられればいい!

(!!そこかっ!)
アレフは竜神王の刃を天井に向かって突き立てる。
その切っ先は、こちらは投げ下ろされてきた鎖鎌をあやまたずに捉えた。
響く鈍い金属音。アレフの心臓を狙うはずだった死神の鎌は途端に勢いを失い、
破壊こそ免れたが、何ら功をもぎ取ることもできないまま、持ち主の手の中に逃げ帰る。
「貴様…!」
「同じ手を何度も食ってたまるものか」
鎌を受け止め、憤りを胸に勇者を睨む魔王に対して、
アレフはしてやったりとばかりに笑ってみせた。

(ならば…!)
「!?」
一時停止したのも束の間、ピサロの姿が再び消える。
まだ同じ手を使う?下手な鉄砲も数を撃てばというつもりか?
そうではなかった。ピサロの消失から数瞬の後、
屋内を微弱な気流が駆け巡りはじめたのに、アレフは気づく。

(空気を荒らして撹乱しようというのか…なるほどな)
それが真空波という技だとまでは知らなかったが、冷静な判断だとアレフは思った。
出鼻を挫かれて逆上し、大技に切り替えてくれれば、その方がまだ戦いやすかった。
威力の大きい技を行使しようとするならば、繰り出すための隙も大きくなるもの。
一発を狙ってくるのならば、こちらもまた一気に決める機会を作り得ただろう。

このような小技を間断なく出される方が、今のアレフには辛い。
実際、先ほどまでとは明らかに刃の軌道が読みづらくなっている。
しかも気流は生み出した術者からすれば、追い風ともなる。
間合いの上では、移動力・武器の射程距離ともに相手に分があることを認めざるをえない。
呪文や道具を使えばまた別かも知れないが、
無闇に撃てば、それこそこちらが相手に絶対の隙を見せてしまうことになりかねなかった。

「!!」
再び、刃がくる。今度は…横か!?とっさにアレフは上体を反らし、回避をはかる。
まさに紙一重。わずかなタイムラグで鎌は勇者の頭上の空を切るにとどまり、また風の中へ消えていく。
危なかったが事なきを得た。すかさずアレフはバランスを立て直す。
そして、見た。目前を通過した鎖鎌の刃先に薄く残った、変わり果てた赤い色を。

その赤が何を意味しているのか。あれが元は誰のものであったか。
現場を目の当たりにしたアレフが、一番よく知っていた。
(…サマンサ)
時は違えど、同じ『ロト』という名の運命を共有し、
なのについにわかりあえることできないまま死んでいった、あの魔法使いである。
ロトと生死すら共にした彼女は、誰よりもロトを理解していた。
そして誰よりもロトを尊きものと信じていた。子孫あるいは本人以上であったかもしれない。
だが、それ故に…彼女は決断したのだ。
『だからこそ、私が汚すのです』と。

『アリスは……彼女はけしてこのゲームには乗らない。
 だから彼女以外の全てを、私が殺す必要があるのです!』
『何故だ!?君はそのロトの仲間なのだろう?何故勇者と共にこのゲームに抗おうとしない!』
『対等の立場であったなら敵がどんなに強大であろうとも私も戦うことを選択したでしょう。
 ですがこの場合は違う』

命奪われる前にぶつけられたサマンサの思惑の発露と、それに対するアレフの反応である。
『対等の立場であったなら』『この場合は』と彼女は言っていた。
自分の判断に後悔したり、まして他人のせいにしたりするような人となりでは彼女はなかったが、
それは自らの行為が、やむをえぬ苦渋の決断であることを物語るものだった。

必ず方法があるはずだとアレフは訴え、サマンサはそれを拒絶した。
しかし、自らの選択が決してベストのものでないことは、
彼女自身が一番よくわかっていたのかもしれない。
望み叶うならば、もっと違う、彼女に相応しい判断を下したかっただろう。
もっと違う生き方を。そう願わくば、あれほど愛したロトと共に、アリスと共に…

心の叫びを、勇者は感じた。
どれほど庇い立てしようとも、彼女が自分やルーシアを追い詰めたことは事実であり、
彼女の策略がピサロをデスピサロへと変貌させた契機となったこともまた事実である。
一人の人間として、彼女の行動をそのまま受け入れることは、アレフにはできない。
だが本来は理性的であったはずの彼女をそこまで走らせるに至った想いの深さを
見過ごすことも彼にはできなかった。
それもまた、やはり自身以上に大事に思う、守りたい人がいる、一人の人間として…

だから思う。アレフは、サマンサを否定しない。彼女の心を彼は否定できない。
だが、彼女の行為は否定する。その思いの深さ、その一端を知ったがゆえに。
『アリス以外の全てを殺す』彼女の描いたシナリオを、アレフは破壊しなければならない。
彼女が命をかけて守り通したかった、かの勇者ロトであるというその人、アリス。
アリスを救うため、全てを殺さなければならないというサマンサの意思を、
アリスの子孫たるアレフは断固として否定する。
生き残った者に課せられた責務として、何よりも己の矜持にかけて。
そのシナリオの果てに、全てを滅ぼす魔王を産み落としてしまったとなれば、なおさら。

気流の渦の中で、幾度となく自らをえぐろうとする死神を払いのけ、
アレフは既に冥界の門をくぐった魔女の囁きに敢然と立ち向かう。

『首輪を嵌められた時点で私たちは既に負けているのです』
負けてなんか、いない。
『自らの血を否定するつもりですか?』
否定などするものか。だからこそ…戦う!
『アリスが死ねば全ては終わるのですよ!?』
死にはしない!死なせもしない!
 
 
「終わらせて…たまるかぁっ!!」
 
 
(なんてことだ。まったく付け入る余地がない)

膠着に陥り始めた戦線を前にして、エイトが歯噛みした。
フォズの応急処置をほぼ終えた彼であったが、未だ加勢しえずにいた。

アレフは今ピサロしか、ピサロはアレフしかその瞳の中に映していないであろう。
そしてアレフは足に不安を抱え、かたやピサロは右腕が使えない。
どちらも満足に戦える状況ではないのに、互いに全てを賭けて死線を交わしている。
全身を貫くはずの苦痛と疲労を、ものともしない志を胸に、二人は戦っているのか。

そう、今は二人の精神、気持ちだけが両者を支えている。
そこに迂闊に横槍を入れればどうなるか?集中力が切れて、途端に勢いを失いかねない。
張り詰めた凧は、支える糸を一つでも断ち切ってしまえば、
あとは高らかに空を舞っていたのが嘘のように、虚しく地に落ちるだけ。
下手な手出しは、かえってアレフを窮地に陥れる危険性を孕んでいる。
エイトは知らないことだ。このナジミの塔で昨日の朝起こったことを。
『アレン』を名乗る前の竜王が、本物のローレシア王子・アレンと対峙していた際、
アレンに助太刀するつもりで、彼の戦友ククールが影から放った矢が
かえってその命を奪ってしまう結果につながったのだということを…

(悔しいけど、見守るしかない。今は)

義によって助勢すると大見得を切った身でありながら、この立場は甚だ不本意だった。
しかし、それを忍んで耐えることをエイトは自らに課した。
状況を見守るべきだ。今でこそ均衡を保っているが、ひとたびどちらかに傾けば
後は雪崩をうったように、一気に体勢が決するだろう。
互角の力を持つ戦士の、一対一の戦いとは得てしてそういうものだと経験が言っている。
敗北にせよ、相討ちにせよ、
あの人が、アレフがここで命を落とすようなことだけはあってはならないのだ
必ずアレフをアリアハンへ。ローラ姫に、彼を引き合わせなければならない。
それは姫君に仕えた近衛隊長としての責務であり、
何よりも一人の男として、信ずるに値する人々に対して報いるべき道だと思った。

一方、フォズもまた、二人の戦いを固唾を呑んで見守っていた。
エイト同様、やはり今はとても割って入る間を見出せずにいる。
かといって、アレフに手加減を求めることもできはしない。
フォズはピサロを救いたい。その思いは未だ一分子たりとも損なわれてはいない。
しかし、だからといって、アレフを見捨ててよいと言う理由になどならなかった。
彼もまた、この場に命を賭して駆けつけてくれたのだ。
その思いがわからないほど、彼女の心の視野は狭くはない。

だから、彼女もやはり時が来るのを待っていた。
いかに屈強であろうとも、既に疲弊著しい二人。
体力も魔力も底が見えつつある以上、このような持久戦が長く続くはずもなかった。
どのような形にせよ、決着は恐らくそう遠くはない。
その時、その瞬間を見逃してはいけない。
フォズは自らの身を支える天罰の杖をギュッと握り締めた。
ただ呆然と眺めていることは、許されない…!
 
 
二人はまだ戦っている。
武器と共に、それぞれの思いが言葉の形を成してぶつけられる。
この時はアレフもピサロも、戦闘の最中であるというのに思いのほか多弁であった。
普通、戦いの場で無闇に行われるべきことではない。
口を開けばその分集中力が殺がれるし、声を出せば相手に自らの居所が知れてしまう。
無益どころか、己の足を引っ張りかねない。そんなことは共に分かりきっているというのに。

自らの前に立ち塞がり、決して改めようとしない『わからず屋』を説き伏せたいという思いもある。
しかし、主に、それは互いに意識してのことではなかったが、精神のなせる作用だった。
エイトが思うほどに、本人たちは苦痛と疲労を意に介していないわけではなかった。
とりわけアレフは左足に、ピサロは右腕に、覆いかぶさる不安はやはり著しい。
気にするなと自らに言い聞かせてはいるが、それは無理な相談というもの。
だから、無言になれば、疼きが呪詛のように内側から囁きかけてくる。
こんな体でいいのか?こんな状態で戦うのか?こんなザマで、奴に、勝てるのか…?
歴戦の勇士でありながら、否、歴戦の勇士であるがゆえに、二人は敵の強大さを理解し、
その相手に対して、万全とはおよそほど遠い状態の自らに不安を覚えてしまうのである。
彼らは十分に勇敢であったが、『成せば成る』必勝の信念があれば万事上手くいくなどと、
現実も見ずに誇るような夢想主義者では決してなかった。
しかし、それでも今は剣をとらなければならない。

故に、自らに肉体的にも精神的にも負担を強いている傷の不安要素を
吹き飛ばしてしまいたくて、二人は激しく言葉を交わすのである。
端的に言ってしまえば、『話していなければやっていられない』のだった。
「よくもまあ、ここまで食い下がってくるものだ!意味もなく!」
「何を今さら!」
既に動きも目に慣れていた。ちょうど十回に達した鎌の投擲を、やはり十回しのぐと
膠着状態にケリをつけるべく、アレフは一気にピサロの懐めがけて詰め寄ろうと試みた。

しかし左足の怪我と風の壁。二つの束縛を抱えた今、
やはり俊敏さではピサロに及ぶべくもなく、彼の反撃は試みの段階で終わる。
「意味がないだと?そんなことはない!
 俺はあの子を助けるためにここへ来た!どこがおかしい!」
「…だから、それが無意味だと何故わからぬ。本末転倒な奴め!」
「何だと…?」
「お前は言っていたな?私がお前の大切な者にまで手をかけようとするのならば、
 お前は私を見捨ててはおけない…と。
 …お前にも守りたい者がいて、その者もまた、この地に招かれているというわけだな?
 そこまではわかる。だが…!」
そこでピサロの眉が釣りあがる。かつての彼もまた、守りし者…だった。
それだけに、己は既に失われているから尚更、ピサロはアレフの判断を許容できなかった。

「ならば何故、お前はここへ来た!?
 その守りたい者がまさかフォズだと言うわけではあるまい?
 まだ生きているのだろう、その者も?ならば何故ここへ来た!何故探しに行かなかった!
 小娘一人、見捨てておけばよいものを…!
 お前がここでいたずらに時を費やしているうちにも、その者はどこで何をしているのか?
 目先のことにとらわれて、己の目的を見失う輩よ。
 それを無意味と、愚かと言わずして何と言うのだ!アレフ!」
「ぐ…!」

さしものアレフも返答に詰まった。確かにピサロの言う通りだった。
もし、本当にローラの身を第一に思うならば、そう、彼は…
こんなところに来ている場合ではなかったのだ。

人の命の重さを秤にかけることなどできはしない。
しかし、もし自らが生涯愛すると誓った女性と今まで名前すら知らなかった少女。
比べなければならないのならば、十人が十人、前者を選ぶに違いない。
カルネアデスの舟板。それは、人として口惜しくともやむをえない決断だっただろう。
誰も責めようのないことだ…なのに、それなのにアレフは逆の選択をしてしまった。

フォズだけではなかった。彼もまた、愚かであった。どうしようもないほどに。
ローラの行方も掴めないまま、己の身を死地へと晒す。それが今のアレフという男だった。
しかし、自らの身を顧みず、出会ったばかりの碌に素性も知れぬ少女の命を救いに走る。
その行為を、人は愚かだと言うのならば…
「その愚かさを…俺はむしろ、誇る!」
奥歯をぐっと噛み締めた後、アレフは宣言してみせたのだった。

そうとも…それこそ、『何を今さら』だと彼は思った。
元々勇者とは、世界の人々を救うために剣をとってきたのではなかったか?
ローラのことは確かに不安でならないが、長い間竜王の手に囚われながら、
それでもなお生き延びた、あの気丈な姫君のことだ、きっと今もなお健在に違いない。
もうおおよその場所はわかっているのだ。ここが片づけば、すぐに舞い戻ってみせる!
一握りの知己と、大多数の見たことも聞いたこともない人のために自分は戦ってきたのだ。
それが勇者だ。それを愚かだというならば…俺は、愚かで十分だ…!

「戯言を!」
「!?」
自らに言い聞かせ、つとめて冷静さを保とうとする勇者とは
対照的な激情を、魔王はその顔に走らせた。
やはり、貴様とは相容れない。ピサロが憤り、途端にアレフは息が詰まった。
肺に急激な圧迫が来る。空気が突如荒々しく暴れ始めたのだ。

思えば、真空波を繰り出した時からここに至るまでの間、
らしくもなく、チマチマと小技に終始していたピサロだった。
十分に身動きのとれないアレフからすれば、それでも脅威に値するものではあった。
だが、これまでの一連の行動こそ真の罠だったのだ。

周囲を流れる空気の渦に、アレフは慣らされ始めていた。
これくらいなら大丈夫だ、と思い始めていた。
だからうまくいかなかったとはいえ、反撃を試みようとタイミングを窺いさえした。
しかしアレフは知らなかった。真空波の本当の力はバギクロスにも匹敵する。
刃を纏う嵐こそが本性。こんな柔なものではない。ピサロはあえてセーブしていたのだ。

急激な変化に敵が身じろぎしたかすかな間を逃さず、ピサロは再び鎖鎌を投擲する。
鎌ではなく、鎖を。刃先ならば打ち払われてしまえばそれまでだが、
長い鎖はたとえ振り払われても、巻きつけて相手を絡めとることができる。
狙いは無論、アレフの弱点である左足。
反応が遅れた彼は、鞭のようにしなり迫る鎖を患部にもろに受け、足をとられ転倒した。

真空波の勢いを弱めておいたのも、
そして鎖鎌の鎖の部分を用いず、あえて鎌だけに固執しているかのように見せたのも、
…ことさらにサマンサの血を見せつけたのも、『あの刃で俺を狙っている』と思い込ませた。
全てはこの瞬間のための布石であったのだ。
結果、ピサロはほとんど呪文を使うことなく、アレフを追いつめることに成功した。

(しまっ…た…!)
「愚者は地に堕ち、そして…消えよ…!」
まだ『もう一匹』ピサロには戦う相手がいる。貴重な魔力を浪費するわけにはいかない。
だが溜飲を下げるべく、解き放たれた攻撃はそれまでの比ではない。
冷酷な宣告と共に、死を司る氷の国の女王がアレフの頭上に舞い降りた。
 
 
(まずいっ!)
メタルキングの槍を握るエイトの手から汗が噴き出した。

完全に勝敗の天秤はピサロの方へ傾いた。
瞬く間にアレフは窮地に追いやられ、今や風前の灯火も同然である。
もう集中力がどうとかいう問題ではない。今こそ、文字通りの『横槍』を入れる。
でなければ機を窺い続けた意味がない。
ただの物見遊山で終わるような馬鹿げた道化に成り下がってしまう。
…冗談ではない。もう誰も助けられないのは御免だった。

そう考えるや否や、槍の切っ先にエイトは魔力を走らせる。
氷には熱を以って対処するのが定石。呼び込まれたのはベギラゴンの閃熱。
覇竜の赤き咆哮を浴びた槍の力でマヒャドを相殺し、一気にピサロの身をも狙う。
それがエイトの狙いであった。まだ体力に余裕のある彼ならば、勝算もあったはずだった。

だが、彼は急に動きを止めた。

怖気づいたわけでは決してない。そこに近寄りがたい空気を感じたのである。
今すぐ行かなければ、アレフの命に関わる。そのはずなのに、何故か行けない。
まるで聖域のようだった。何人たりとも近づくことを許されない気配。
これは一体何なのか…実はエイトはその正体を知っていた。だが、わからなかった。
ただ、思ったのは、

(暖かくて、穏やかで…優しくて…)

エイトの傍らで、フォズもまた立ち尽くしていた。青年と全く同じような顔をして。

(…そして、どうしてなの…これは…『哀しい』…?)
 
 
 
時は、少しだけ遡る。マヒャドの波に、アレフは呑まれた。
…してやられたか、あの男に。倒れ伏した勇者は痛恨の思いで顔を歪めた。

目の前は白。ただただ白。氷を司る凍てついた女王の息吹だけがそこにある。
かつてフォズを襲い、アレフが防いでみせた時とは、まるで別物の威力だった。
何も見えない。何も感じない。女王は血飛沫を望まない。切り裂かれた肉も欲しない。
ただひたすらに、命を氷の中に封じ込め、そして風と共に奪い去る。
アレフは隣接する死の気配を感じた。もはや逃れようもないことを悟った。
何も見えない、この白き壁の向こうで一体、ピサロはどんな顔をしているのだろうか?
会心の笑みを漏らしているだろうか?
それとも、相も変わらず、あの冷酷な顔つきのままなのであろうか?
どちらにせよ、このチャンスをピサロが逃すはずもない。
一気に仕留めようとしていることだけは間違いない。
今のアレフに唯一できるのは、可能な限り耐え抜くことだけだった。
耐えれば耐えるほどにマヒャドの攻撃は長引き、当然、ピサロの魔力は消耗する。
俺はもう、逃げられない。だが、あいつの力を削げるだけ削げれば…

(エイト…すまない。後は、まかせた)

凍り付いてしまった上半身を必死の思いで動かし、アレフは左腕を差し上げた。
俺は死ぬ。だけど、精々しぶとくあがいて死んでやる。
そんな強いが後ろ向きな決意を固めた直後…そこで、彼の運命は激変した。
何が起こったのか、ピサロには見えなかった。エイトやフォズにはわからなかった。
そして他ならぬアレフ自身が、最も困惑したのだった。

(なん…だ?これ…は……)

頭上より降り注ぐ吹雪を少しでも和らげるべく彼が掲げた左腕に、装着していたのはロトの盾。
自身はこの世界に至るまでその存在を知らなかったが、竜王より譲り渡されたそれは、
偉大なる先祖勇者ロトが遺した忘れ形見。アレフガルドの三種の神器の一つであった。
ロトの盾はロトの鎧と共に勇者の身を守り、そして剣と共に大魔王と戦ったのだ。
そう、剣…『ロトの剣』と共に。

今この時…まったく時間を同じくして、アリアハンで一つの異変が発生していた。
そこで、古のロトの剣が発動したのである。
アリアハンにいた『持ち主』は、両腕で抱えなければ持ち運べないほど非力で
ましてや剣を手に戦うことなど、およそ望むべくもなかったはずだった。
なのに、剣が突然持ち主の掌の中で跳ね上がったのである。
主にはとてもできないことだった。ならば、それは…剣の意志だったのだろうか…?

剣の柄に刻まれた紋章が遠く隔たれた兄弟と、盾に施された紋章と共鳴し、羽ばたく。

―――大地の守り手たる精霊ルビスよ、勇者ロトよ。どうかご加護を。

盾を通じて声が伝わってくる。
それは彼が誰よりも聞きたかった声。彼が誰よりも聞きなれていたはずの声。
なのに彼が、今まで一度たりとも聞いたことのなかった、弱々しすぎる、声…

―――アレフ様

(…な……に………?)

自らの名前を呼ばれて彼は、苦痛に細く歪んだ瞳を、今は驚愕のために大きく開いた…
 
 
(…どういうことだ?)
ピサロが、こちらは怪訝のために顔を曇らせていた。
アレフは捕捉した。そして今はマヒャドの術中に収めた。完全に仕留めたはずだった。
あえて氷の術を選んだのは、他の者達への牽制のため。
凍りついた空気は運動能力を著しく制限するもの…全てはまさに計算どおりだった。
しかし歯車は俄かに狂い始める。既にどれほどの時間が経過していると言うのか?
とうの昔にかの勇者の命を奪っていてもおかしくない。否、それが当然の結果であったはず。
なのに、わかる。あの男はまだ死んではいない。
自らが生み出した白の壁のために、魔王の優れた視力をもってしても敵の姿は視認できない。
だが、そうだ…気のせいではない。あの男はまだ…命尽き果ててはいない!
「ピサロ…」
(!?)
「ピサロ…ピサロ…!聞こえているか…ピサロ!」
「何だと!?」
『奴』の声が聞こえる。ありえない。それもまたありうるべきことではなかった。
この吹雪の中である。かき乱された空気が正しく音を伝えられるはずがない。
なのに…聞こえる…これほどまでに…はっきりと…!

実際、エイトとフォズの耳には届けられなかったそれは、明らかに常識を超えた二人だけの会話。
「お前の言う通りだ、ピサロ…俺はどうしようもなく愚かな男だ。だが…」
伝わってくる声は、先ほどの魔王の問いかけに対する、初めは肯定の意志だった。
しかし、後に逆接が続いている。
「それでも、これが俺だ…彼女が愛してくれた、俺なんだ」
「意味がわからぬ。何が言いたい!」
「俺は…彼女を…愛した…」
吹雪すら貫くその台詞は、シンプルだがある青年の口から語られたものと酷似していた。

『あなたは人間を愛した』

それは、今からおよそ24時間前のことである。舞台も同じ、ナジミの塔。
自らの系統に深い因縁を持つ、いわば不倶戴天の敵とも言うべき相手を前にして
一人の青年が言い放ったものだった。
もうこの世にはいない。既に死者の列に名を連ねた、冥府の世界の住人である。
だが、今わの際に至るまで、決して自らの考えを譲ろうとはしなかった。

死せる彼が最後まで譲らなかったその想いを、今となっては知る者は少ない。
唯一、アリアハンにいる『あの男』だけがその記憶を尊きものとして共有しているが、
誇り高きあの男が人に、まして自らの感情にまつわる話を饒舌に語るはずもなかった。

だから、アレフは自らの子孫の『賭け』を未だ知らない。今後もおそらくは知る由もない。
しかし彼と、彼の愛した女性。その二人の想いが結びつき、絆を深めたからこそ、
あなたは人間を愛したと、古の宿敵に対してさえ決して怯まなかった青年は、
この世に生を享けたのである…全ては彼と、彼女がいたから。

「愚かでもいい、情けなくてもいい…
 だが、俺は俺でありたい。自分を歪めることなどできない。
 それが俺の意志であるのなら。そしてこれが、彼女の愛してくれた俺の姿であるのなら。
 たとえ彼女がこの俺の傍を離れても…この手から、零れ落ちてしまったとしても…
 それを決して…忘れたくはない…!」
「急に…どうしたというのだ…一体、何を言っている!」
「俺は俺でありたい。彼女が愛してくれた俺でありたい…いつまでも、どこまでも。
 それが俺の意志だ。そして…彼女の願いだ…!
 その想いを…俺の気持ちを、見くびるなぁっ!!」
力が流れ込んでくるのを感じる。もう痛みも、吹雪も問題ではなかった。
満身創痍のはずの勇者が氷の女王を消し飛ばし、超然と立ち上がる…そして、ピサロは見た。

さながら炎の魔人イフリート。全身を紅のオーラで染めあげたアレフがそこにいた。
 
 
もちろん現実としてそんなことはない。もしアレフが真に全身に炎を纏ったのであれば
ピサロがどうこう言う前に、彼自身が焼き尽くされてしまうから。
けれど…果たしてそれは、幻覚であったのだろうか?
胸の中で護符が光る。ただ一人のものにすぎなかった心の裡で燃え上がる火の手は、
風のアミュレットの加護を受けて勢い盛んに全てを焦がす。

『風のアミュレット』それもまた、ある男が生きた証。
サマンサ同様、彼もやはり、アレフとついに生きて分かり合えることのできなかった者。
アリーナと戦い、竜王アレンを追い詰め、その果てにアレフを生涯最後の相手として選び、
そして散っていった人にあらざる者。彼の魂が、そのアミュレットの中に宿っていた。

自らを討った男に対してありがとうと、感謝すら遺して消えた戦いの申し子。
敵味方を越えて、ただ強者と共に在ることを望み、
毅き志には賞賛を惜しまなかった純粋な戦士が、
今、熱き魂に導かれ、自らの力を、死していまだ失われない己が火を貸す。
 
 
一つの『火』に、一つの『火』が重なり……今こそアレフは、『炎』となる!

(バカな…信じられん…!)
形勢の大きな傾きを、魔王は認めざるをえない。
こんなはずではない。こんなはずではなかった!確かに虫の息だったはずだ!それが何故?
目の前にいるのはただ一人の男…だが、一人ではない。
誰かが奴に力を貸している。何かがあいつの味方をしている。
それは一体何なのか?対して、私のこのザマは何なのだ?
『魔族の王』として全ての魔の上に君臨すべき立場にいるはずの、この私が…!

そう思った直後、ピサロは自分で自分を侮蔑した…何と情けないことを考えるのか。
私に味方などいらぬ…私は、私の力のみで生きるのだ…そうだ…私には誰も、必要ない…!
『そんなことをしてもロザリーさんは喜びません!』
(!?)
『あなたの心にいる彼女は今笑っていますか!?』
反論だとでもいうのか、ピサロの中で『声』が蘇える。何だ、今のは?あの賢しき武器商人か?
一笑に付そうとした。しかし声はまだ続いていく。それは彼も今まで、決して一人ではなかった証。

『人は間違います。自ら闇を呼び込むことも、光を拒むこともあります。
 愚者というなら認めましょう。人は愚かです。でも……必ずやその間違いを正す者が現れます。
 同じ人の中からそれは生まれるのです。だから私は信じることが出来ます。
 人は魔物になれる。でも、勇者にもなれる。誰もが勇者になれる可能性を秘めてるんです!』
『たとえ、この命砕けようとも……私はあなたを信じます』
(『人』…『信じる』…『勇者』?…ユーリル?それとも…)

『俺は俺でありたい。彼女が愛してくれた俺でありたい…いつまでも、どこまでも。
 それが俺の意志だ。そして…彼女の願いだ…!』
(『彼女』の…『願い』…?…彼女……ロザリー………煩い…!)

「煩い…煩い煩い煩い!どいつもこいつも…今さら、知った風な口を…利くなぁっ!!」
 
 
(一体…今、何が、どうなっているんだ…)
状況が次々に変化していく。
エイトの中で渦巻く幾つもの疑問詞を、晴らしてくれるものは未だ現れない。

対峙した二人が何を思い、何を狙っているのか。
音としての情報がほとんど与えられなかった残りの二人からすれば
まったく見当のつかないものだった。

ただ、理解しえたのは、戦局が再び大きく揺らぎ始めたということ。
意図はやはりわからない。だが、今は二人の姿がはっきりと確認できる。
マヒャドの吹雪をかき消し、飛びかかるアレフと、彼に対して何かを試みようとするピサロ。
そして…

(…?また、だ…また、空気が変わる…?)
今まで気流だの、氷だのに翻弄され続けた空間が、またも有り様を変えようとしている。
今度は帯電しはじめたのか。ピリピリと微弱な電流の先駆けを感じる…足元から。
周囲の温度が上がる。鼻腔をくすぐる金属臭。さらには腐った肉にも似た嫌な臭い。
あたかもそれは、地獄を漂う腐臭…悪魔の…瘴気…

エイトは看破した。そして蒼白した。

(…ッ、ジゴスパーク!?)

かつて参加者が一同に招かれる羽目になったあの黒の祭壇でのことを、今さらながらに思い出した。
まだこんな奥の手を残していたとは!エイトは躊躇することなくメタルキングの槍を床に突き刺す。
やはり、ジゴスパーク。地獄の雷は同じ地獄の雷で相殺すべしと試みた。しかし、
(だめだ…間に合わない!)
同じ技であるはずなのに、ピサロの雷の収束の方が遥かに速い…そして、遥かに強い!
あの男の感情の爆発の大きさが、産み出さんとする術の凄まじさが窺い知れた。
自分の周りのみに範囲を絞れば、自分と、傍にいる少女を守る壁とはなりうるかもしれない。
でも、それでは届かない。それでは救えない!魔王に向かって敢然と立ち向かう、あの人を…!
「アレフさん!」
エイトが必死の思いで叫んだ。その声は、今はアレフにも届いた。しかし、彼は突進をやめない。
無論、わかっていた。このまま行けばどうなるか…だが、不思議と恐怖はなかった。

―――来たれ、覇者の雷。

むしろ驚くほどに静かだった…竜神王の剣を手に、心の中でアレフは唱和する。
彼は勇者の子孫と称される男。だが彼の身にはその証が宿っていない。
勇者の呪文とも呼ばれる『デイン』の術を、彼は自らの手で使うことができなかった…それでも、

―――もし、それでも俺に…勇ましき者を名乗る、真の資格あるならば、

「応えろぉっ!!」
瞳の中を閃光が走る。握る、かざす、爆発する。剣の切っ先が蒼白い光を放つ。
それはただ単に、剣が内に秘めたギガデインの力ではなかった。
本来の力では地獄の雷には勝てない。それを知るからこそ、エイトはアレフのために叫んだのだ。
だが、これは違う。剣を形作る竜の力。何よりもアレフの意志。それらが渾然一体となり…
 
 
今ここに、雷竜至る。
 
 
光の竜と地獄の閻魔との戦いは激しく、しかし瞬く間に決着がつこうとしていた。
(体が…熱い…)
熱の感知は、すなわち制御する魔力の衰えを示すもの。
ピサロの黒き雷が…蒼白の竜の中に、呑まれていく…

(私は…敗れるのか?)

ジゴスパークは粉砕された。そして続けて光の刃がピサロの姿を捕捉する。
地獄の雷によって相殺された分、勢いは随分と弱まっていたが、
研ぎ澄まされた竜の牙が、もはや動く力もないピサロを逃がすはずもなかった。
それがわかったから…彼は、笑った…まさか、ここまでやれるものだったとはな、と。
迫り来る死を前に、あくまでも傲然と魔王は笑ってみせたのだった。

ついに、ピサロは観念した。しかしその時、一陣の嵐が吹き荒れた。

「!?」
いかずちよりも早く、小さな何かが風を受け、ピサロ目がけて体当たりをしてきた。
厳密に言えば、その何かは、彼を包み込もうとしていた。
体躯の差から、完全に覆うことは無理だとわかりきっていても、
それでも小さな両腕を左右に、めいっぱいに広げて

威力の衰えた雷竜が、二人を貫くことはできなかった。
虚しくすり抜けて塔の壁に激突し、最後の力をそこで発散させる。
ここまでは彼女の思惑通りだった。この時のために、全てを賭けていたのだ。
彼女はピサロを助けたい。しかしアレフを傷つけるわけにもいかない。それは心も、体も。
その二つを満たすために、フォズはアレフの雷からピサロを守り、
かつ自身もまた、アレフの放った攻撃を受けるわけにはいかなかった。
一歩間違えれば何もかもを壊してしまう。少女にとってそれは、一世一代の大博打だった。

でも、結局駄目かもしれない。確かにいかずちそのものは回避した。
雷竜の勢いが既に衰えていたこと、
フォズの姿を確認して、アレフが反射的に剣の切っ先をずらしたことも効を奏した。
しかし、ギガデインを回避すべく加速した体は、当然の如く側面の壁めがけて突進している。
疲労と損傷著しい今の状態で激突すれば一たまりもない。
両腕にピサロを抱えるため、天罰の杖は手放してしまった。速度を落とすすべもない。
せめてピサロの、彼の頭だけでも壁に激突することのないように、包み込むのが精一杯だった。

(ごめんなさい、アレフさん)
フォズは目を閉じて謝罪し、そして祈った。自分以外の人のために。
早々に訪れるであろう、自らの死の瞬間まで…
その命脈が絶たれるまで…

 
 
(…?)
その、『まで』が随分と長い。
壁に叩きつけられるのを覚悟していたはずだが、何の痛痒もない。
あまりの衝撃のために、既に感覚を失ってしまったのだろうか?
あるいはもう死んでしまったのだろうかとさえ思った…いや、これは…もしや…?
激突するどころか、自らもまた何かに包み込まれているということに、
ようやくフォズは気づいて目を開ける。大丈夫ですか?と優しい声が、彼女の鼓膜を響かせた。

「え、エイト、さん?」
「まさかとは思いましたが…本当に無茶をする人ですね、あなたも」
驚愕に満ちた少女の瞳の中で、近衛兵隊長が柔らかく笑う。
もちろんさしものエイトでも、二人分の重量の上に加速が乗せられた、
その大砲の弾にも似た一撃をそのまま受ければただで済むはずもない。

しかし、彼には身を守るための最後の切り札があったのだ。
あらゆる攻撃に対して身構え、その衝撃を十分の一以下にまで減らす特技。
鋼をもはね返す巨壁にもなれれば、ダメージを受け流すしなやかな枝葉にもなれる技。
すなわち、大防御。

「ど…どうして?」
「なんとなく、わかっていたんですよ。あなたが、ピサロが敗れるのを
 ただ黙って見ているはずがない。絶対何かをするはずだって」
「そうではなくて、どうして私を?」
「言ったでしょう?僕は近衛兵隊長エイト、義によって助勢したんです」
とはいえ、もともとアトラスから受けた腹部の一撃が完全に癒えたわけではない。
そこへ二人分の衝撃が加わったのだから、その痛みはただならぬものではなかった。
しかしそんな苦悶をおくびにも出さず、エイトは微笑んでみせる。

「守ると決めた人のために、命をかける。
 そのために僕はここへ来たんです。これ以上の理由は、必要ないでしょう?」
さらりと言ってのけたその一言に、フォズは憧れた。それは、彼女の求めた、綺麗事。
美しいと、正しいとわかっていても、容易に立ち入ることは許されない領域。
アレフだけではなかった。それを口にして、かつ実行できる人がここにもいる。
求めてはいても、手を伸ばし掴み取る力が決定的に欠けていた彼女に、
エイトの行為は、あまりにも眩しいものだった。

理想の一端を、瞳を通してその心の中に焼き付けると、フォズは再び現実へと立ち戻る。
我を忘れている場合では、なかったので。
「ピサロさん!」
エイトの手から離れ、今度は自らの腕の中でぐったりとした魔王に声をかけた。
「ピサロさん、ピサロさん!」
何度も呼んだ。だが返事はない……

…夢を、見ていた。あれは一体、いつのことだっただろうか?

あてもない気紛れな旅の道中で、彼はある女性の姿を目に留めた。
森の中を一人で駆けている。こちらには気づかない。周りを窺う余裕もない。
戦う力も、本来走る力さえも禄に持たないように見えたエルフの娘。
一体何事か、彼にはすぐわかった。
追われているのだ。何故追われているのかも自ずと知れた。
あいつを捕まえれば、俺は大金持ちになれるんだ!などとわめき散らす声が近づいてくる。
狙いはエルフが流すルビーの涙か。強欲を隠しもしない下卑た男が後を追っていた。

エルフは必死に身を潜めようとしたが、翠の森の中で、その桃色の髪は思いの外目立った。
狩りに慣れた賊の前では児戯に等しく、彼女はあっさりと見つかってしまう。
そんな処に隠れていたのか!どす黒い欲望が満たされるのを感じて、男は高らかに笑った。
(…)
そして、笑ったまま消えた。娘が、男の死に様に恐怖を覚える暇もなく。
超高熱を孕んだ青白い炎が男の体を捉え、まとわりつき…そして跡形もなく荼毘に付したのだ。

「危ないところだったな」
炎の主は、そこで初めて姿を現す。
具現化してみせた魔力とは対極をいくような、まるで氷を思わせる顔立ちで。
「今のは…今のは、あなたがやったのですか?」
「そうだ。欲深い人間のエルフ狩りが目に余ったのでな」
彼が右手を突き出すと、指先には未だ熱の残滓が感じられる。
肉も骨も瞬く間に滅し、自分が何故死んだかもわからないまま、地獄へ堕ちたことであろう。
呪いたければ呪えばいい。嘆きたければ好きなだけ嘆くがよい。
愚者には似合いの末路だと断じ、彼は薄く笑ってみせたのだった。
「…」

対して、娘はしばし無言だった。
讃えろとは言わないが、礼の言葉の一つくらいあってもよさそうなものだったのに。
「酷い…何ということを」
しばし後、命の恩人に対して彼女が向けた言葉は、よりにもよって非難だったのである。

「酷い?私はお前を助けたのだぞ?それを…酷いというのか?」
「何も殺さなくても…人間だって、私たちと同じ生きとし生ける者なのに…」
鋭敏をそのまま形にしてみせたような瞳を彼はしきりに瞬きさせる。理解できない。
まったくもって、こんな反応があるものだろうか?
あの男を殺さなければ、自分自身がどうなっていたか?
故郷から切り離され、傷つけられ、あるいは命を奪われてもおかしくはなかったのに。
…いや、十中八九そうなっていたことは自分でもわかっていただろうに。
なのに、この娘は、自分自身に対する略奪・殺人未遂犯を哀れみ、
奴の命を奪った彼をこそ責めようというのだ。

まったく、何という愚かな娘であろうか。
怒ってもよいところだった。彼の気性からすれば、それが正当というものだった。
「フ…フハハハハハ!エルフとは妙な生き物だな!面白い!気に入ったぞ!」
なのに、彼は…笑ったのである。

「…エルフよ、名はなんというのだ?」
「名前…?私たち森に暮らす者に、名前などありません」
「そういうものか?しかし、『エルフの娘』では呼ぶにも面倒だな」
続くそんなやりとりに、今度は娘の方が呆然とする番であった。
彼女も思慮深き人であったから、恩人に対して手酷い言葉を浴びせてしまったことは
口に走らせた直後に自覚していた。
だから、どのように咎められても文句は言えないし、言わないつもりだったが、
どうも自分が予測したものとは、およそかけ離れた方向に話が流れ始めている。

…いくつかの思案をめぐらせた後、彼は一度深く頷いてから語りかけた。
「よし…ならば、お前は今日から『ロザリー』と名乗るがいい」
「ロザリー?」
「私が地上で世話になっている村からとった名だ。気に入らないか?」
「いえ…ただ、今まで人に名前で呼ばれたことがないので…」
そんな風に戸惑うエルフの娘の反応を、らしくもなく面白げに、彼は見つめていたのだった…
 
 
『名前』…それは尊い意味を持つ。何故ならそれは、存在を認めた証。
その者を知らなければ、その者をさらに知ろうと欲しなければ、
名前など必要ない。ただ過ぎ去って、それだけで終わっただろう。
…なのに、彼は彼女に名前をつけた。それは再会の約束。生の時をしばし共にするという誓い。
彼女は屈強ではない。賢明とも言い難い。自らを利することなど何一つ期待できそうにない。
己の望みとはまるでかけ離れたその女性を、なのに何故、彼は手元に置こうと思ったのか…

…虚無の空間の中で、どこからともなく声が聞こえてくる…
(…これは…まさか…お前なのか…?)
『そうです、私です。覚えていますか?あなたが授けてくださったこの名前を』
姿までは見えない。だが、呼んだ。忘れるものかと付け加えて。すると再び彼女は問いかけてくる。

『そう、ロザリー…私の名はロザリーです。あなたは…?』
(私は…だと?)
『そうです。私は…ロザリーです…では、あなたは…?あなたの名は…?』
(私は…私の名は…)
 
 
「ピサロさん!」
自らの内なる囁きと、外から呼ぶ声とが一致した時…彼は再び、目覚めた。

「ロ…ロザ…ロザリー………」
うっすらと瞳を開けると、そこにいたのはあの桃色の妖精ではなかった。
あの時の空と同じような水色の髪をした、
「お前か…」
エルフとは似ても似つかぬ風体の少女がいる。

「ロザリーではない…ならばここは…死の国ではないのだな…?」
「ええ、そうです。ピサロさん、あなたはまだ…生きています…よかった…」
フォズの手がブルブルと震えている。そこで、ピサロの頬を優しく撫でるものがあった。
流れるそれは、決してルビーにはならない。しかし暖かな雫。
「よ、よかった…よかった…よかった、です…」
何度も同じ言葉を繰り返して、今まで我慢していた涙を溢れさせて、
少女は男の胸に顔を埋めてワンワンと泣き始めたのである。

「何をそんなに泣いている…お前を手にかけようとした者が生きているのだぞ。それが嬉しいか」
「嬉しいです…いけませんか…?」
即答だった。そして彼女は続けた。
「私はあなたを助けたいと思っていました。そのあなたが、生きているのですよ…?
 こんなに嬉しいことが、他にありますか…?」
それは、どこかで誰かが言っていた台詞と、同じ方向を指し示しているように彼には思えた。
『何も殺さなくても…人間だって、私たちと同じ生きとし生ける者なのに…』

(ああ…そうか…)
今になってようやく、ピサロはロザリーと名付けたあのエルフの行為に
なぜ惹かれたのか思い出した、あるいは理解したのかもしれない。
自らの生命の危機に瀕しながら。それでもなお、他人の命を思うことができる。
あまりにも愚かで、それゆえに穢れなく、美しい…自分には、決してないものだ。
 
 
そうなりたいとは思わない。自らを弱めるだけに過ぎないであろうから。
だが人は、己の内にないものに憧れる。それは魔族もまた同じ。
自分にはない、そして永遠に手に入ることもない、心のかけら。
失ってから気づいた…それを、彼女は持っていたのか…
「愚かな奴め…」
果たしてそれは、誰に対して向けられた言葉であったのだろうか。
未だ泣きわめくフォズの頭を左手で撫でる…ようやく、彼は止まったのだ。
(だが、もう遅い…)
一人の戦士の足音が聞こえてくる。
彼は倒れ、一方その者は深く傷つきながらも、確かに立っていた。
 
 
「お前の勝ちだ、アレフ」
「…どうやらそう思っていいみたいだな」
「微妙な物言いをするな。誰も否定する者はいない。
 ならばもっと誇らしくあれ…勝者とはそういうものだ。
 でなくば、そんな程度の輩に負けたのかと、敗者はいっそう惨めになる」
そうピサロは自嘲気味に言うと、自らを破ったあの竜神の刃を見た。

「とどめをさすがいい…生殺与奪は、お前のものだ」
「ピサロさん!?」
アレフより先にフォズが反応したが、ピサロは改めない。
「とやかく言うな。お前の声、確かに届いた…故に私は目覚めた。それは認めてやろう。
 しかし、これは武人としてのけじめだ。お前が口出しすべきことではない…」
「…随分と殊勝じゃないか」
「好きにしろ。その足の恨みなり何なりと晴らせばいい。もはや逃げも隠れもせん」
「…」
 
 
アレフはピサロの眼を見た。そこにかつての『デスピサロ』の邪気はない。罠も虚言の気配もない。
ピサロの、魔族の王としての、最期の誇りなのだろうと思った。
フォズの方は見ない。どんな顔をしているか、確認するまでもなかったから。

しばし無言の空気が辺りを包む。やがて、アレフは軽く息をつく。
「そうだな…お前ほど扱いに困る奴はいない。今この場で始末をつけた方が楽に決まっているな…」
アレフは刃先をピサロの喉元に向けた。彼の代わりに傍らのフォズがかすかに声を上げる。
剣を持つ手が…戦士としての判断が、内側から叫び続けてくる。
正直、次があったら、情けないが勝てる気がしない。
ならば禍根は絶てる時に絶ってしまえ。さもなくば将来自分の首を絞めることになるぞ、と。
だが…
「お前の言う通り、やはり俺は愚かなんだろう」
フッとかすかに笑い、アレフは竜神王の剣を鞘に収めた…『理知の結論』を、彼は下せなかったのだ。

「生殺与奪、と言ったな?生かすも殺すも自由と言うことか。
 ならば選択肢は一つじゃない…お前にはまだ、生きてもらう」
「何…?」
「命を奪う代わりに、俺はお前から死を奪う。勝手に死ぬことは俺が許さん。
 生きろ。まだお前にはやることがあるだろう?ならば守るんだな、自らの生き方を。
 それに…そこの女の子が泣くとわかってる行為に、あえて手を染める気にもなれないしな。
 …とまあ、ここまでなら大層立派な聖人君子の意見だが…」
ふうとまた一息ついて、ことさらおどけるように肩をすくめてみせた。
「お前にはさんざん苦労させられた。本当にいい迷惑だった。
 ここで静かに退場だなどと潔い真似をさせてはやれないな。
 冗談じゃない。お前にもこれから苦労してもらわなければ、割が合わないだろうが」
「…言ってくれるものだな」
「まあな。文句があるなら、そのくたびれた体を休めてからかかってこい。
 いつでも…相手になってやるさ…」

その様を見て、ピサロはアレフをとらえどころのない男だと思った。
孤独を友として生きてきた者の影を感じたのである。
知悉することは魔王にすらおよそかなわないことだったが、
ある女性と出会うまで、アレフもまた、ずっと一人だった。一人だけで戦ってきたのだ。

攻撃も回復も交渉も作戦も、およそ戦闘における役割は全て自らに課して生き延びてきた彼である。
いろいろな顔を持つに至るのも、当然のことであったかもしれない。
…しかし、それでも、それにしても、先だっての形勢の逆転。
あの時の言動は、ピサロにはやはり性格では説明のできぬ常軌を逸したものに思えてならない。
そう疑うと、今の姿もまた、真意を隠す装いのようにさえ見えてくる。
一体あの刹那、この男に何があったというのか…?
「アレフよ…貴様は…」
かすかに、ピサロはアレフに問いただそうかと思ったが、相手の耳には届かなかった。
代わりに彼は、もう一人の戦友に声をかけていたのである。
 
 
「エイト、助かったよ。君のおかげで事を治めることができた」
「そんな…むしろ謝らなくてはいけません。ほとんど加勢もできず、申し訳ないと思っていました」
エイトの返答は、当人からすれば謙遜でもなんでもなかった。
最後の瞬間こそ務めを果たした実感はあったものの、
それ以外は本当に自分は一体何をやっていたのかと、ただただ赤面したくなるのである。
しかし、アレフは不満など言わない。思いつくことすらひとかけらもなかった。

「そんなことはないさ。君がいなければ、俺は戦いに専念することはできなかったし、
 何より、あの時、彼女を救うところまで手が回るはずもなかった。
 こんな結果には到底ならなかった…それが一番、大事なことさ」

ありがとう、本当に…そう謝意を示すと、続けてアレフはエイトに依頼する。

「二人の面倒を、見てやってくれ」
「え?いや、それは構いませんが…でも、まずはあなたでしょう?そんな酷い体で!」
「いや、俺はいいよ」
目を閉じてわずかばかり手を振ると、アレフはエイトとすれ違う。

「俺はいい、いいんだ…自分でやれるさ。少しの間、一人にさせてほしい…」
「……アレフさん」
「お願いだ……」
「……」

下の階につながる道を歩き、消えてゆく勇者の背中に、エイトは言いようのない胸騒ぎを覚えた。
何故か、その体が小さく見えた。
それに漆黒であったはずの彼の髪が、一気に白みを帯びていたような…そんな気さえする。
彼にはまだ、ローラ姫に会うという何物にも代えがたい目的があったはず。
なのに何故、そこまでくたびれた顔をしているのか。
ただ単に疲れているだけだろうか?それならばまだいいのだが…
 
 
しかし、果たして本当にそうなのだろうか?

…心地よい風が、吹いていた。
エイトたちの元を離れ、アレフは一人佇む。階は一つ下だが、見晴らしのよい場所だった。
視線を遠くに移せば、あのアリアハンの城がぼんやりと瞳の中に飛び込んでくる。
かつて彼が赴き、そして今は彼女が辿り着いたはずの、あのアリアハン…
(ローラ…)
考えすぎであってくれたなら、どんなにいいだろう。
あそこへ行けば彼女に逢える。そう心から、信じることができたなら。

―――アレフ様

あの時届けられた声を、アレフは記憶の中に呼び覚ます。

―――もうこの手で剣を届けることは出来ないけれど、
    私の魂はロトの剣と共に、ずっとあなたの傍におりますから。
    悲しまないで。憎まないで。ただ前だけを見つめていて。
    だって、アレフ様は私の勇者様なのだから ―――

今もその耳の奥に染み込んでいるあの声は、確かに彼女のもの。決して幻聴などではない。
土壇場で彼に力を貸してくれたそれは、まぎれもなく奇跡と呼ぶべきものだった。
だが、しかし…一方で彼は痛感せざるをえなかった。
このような時、このような場所でそんな奇跡が、容易に許されるはずもない。
もしあるとすれば、おそらくそれは一度きり。すなわちそれは…

―――ああ、でも本当は、もう一度だけ―

「俺も、君に逢いたかった…逢いたかったよ…」

二つの声が夢と現の中で一つに重なる…アレフはついに…間に合わなかったのだ…

許してくれとは言えなかった。否、もはや請うこともかなわない。
だが、もし…もし、あの夜レーベに留まっていれば…アトラスの後を追わなければ、
あるいは回廊での戦いの後、すぐにアリアハンに引き返していれば…
フォズを、あの少女を助けようと思わなければ、ピサロのことなど構わないでいれば、
彼はローラに会えたかもしれなかった。そう、全てはあいつの言う通りに。
自分が今までしてきたこととまるで逆のこと、それが、最善の選択であったのだろうか?
そうは、思えなかった。
(俺…間違って、なかったよな…?)
過ぎ去りし微笑みの幻影に、アレフは訴えかける。

なあ、ローラ。怒るだろう?君ならば…あのドラゴンにさえ優しかった君ならば。
少女を見捨てて去るような俺など、決して許しはしないだろう?
なあ、ローラ。認めてくれるだろう、君ならば。
俺…この世界で初めて、戦いの中で人を救えたんだ。
エイト君の助けもあったおかげだけれど、初めて、人を…救えたんだ…
なあ、ローラ…誉めて、くれるだろう…?君、ならば…

壁に額をつけ、当てた手が震える。うつむく彼の頭の中を優しい声が響く。

―――アレフさんはやさしいですねえ。

幾人かの気配をそこに感じた。ローラ?…だけではない。
しかし彼女らもまた、いずれもアレフの手元から零れ落ちていった命。

―――いいんです、アレフさん。そんな哀しそうな顔しなくてもいいんですよ。
―――無理、ですよね。アレフさんはやさしいですから。

それならば、と天女の声に呼応するようにザックの中で神鳥の杖がほのかな輝きを帯びた。

「う…う…うああ……うわああああ…ああ……」
嗚咽が漏れる。止まらない、止められない。
魂の器ともなりうる古の杖の持ち主だった女性もまた、彼にささやきかけてくる。
『泣けばいいよ』と。私も兄さんが死んだ時、そうしたからと。

…泣けばいい。その涙枯れるまで。
傷ついた体を、壊れかけた心を解きほぐすにはやすらぎが、人には必要だった。
水は命の源。あふれる涙はきっと、そのためにある。
悲しむのは男らしくないと、勇者に相応しくないなどと、誰が決めたことか。
涙でくしゃくしゃに顔を歪ませた彼を、一体誰が笑うというのだろうか。

泣けばいい。ひとしきり泣いて、眠ればいい。
今は死者との語らいに身を委ねてもいい。いつか目覚め立ち上がる時のために。
伝説は語り教えてくれる。勇者が腕に抱き心に刻む不死鳥はいつも、

炎の中に自ら身を躍らせ、焼き尽くした白き灰の中から蘇ってくるものなのだと……
 
 
―――だから…『いつか』、笑ってください。

翼を背にした天空人の微笑みに、賢者の子孫が応え、最後を愛しい姫が締めくくる。

―――私の魂はロトの剣と共に、ずっとあなたの傍におりますから。
 
 
―――だって、アレフ様は私の勇者様なのだから―――
 
 
…改めて処置をしてもらったが、完治には至らなかった。
これ以上はせっかくの魔力の浪費になると思い、フォズはエイトの施しを止めてもらって座り込む。

呼吸をするたびに、体の内側が悲鳴を上げる。傷ついた骨と内臓の痛み。
苦しい…でも、辛くはない。なぜならそれは、命あるゆえの痛みだったから。
もしこの場にアレフがいなければ、もしこの場にエイトがいなければ、
痛みを感じることすら、できなかったに違いない。

再びの眠りに落ちたピサロの手を握りながら少女は思った。今命ある、その幸運を。
この人が豹変した時、この人の後を追った時、
恐らく自分はそう遠くないうちに死ぬだろうと、覚悟していたはずだった。
実際深手は負った。完全に治癒することはないかもしれない。
しかし、それでも今彼女は生きている。確かに生きて、ここにいる。

もっとも今を生き抜いたからといって、それが明日の命を保証するものでは全くない。
数多の激戦をくぐりぬけた勇士が、思いもかけぬ襲撃のために果てることもあれば、
世界に名を轟かせた覇者が、無名の刃に刺し貫かれることもある。
それが現実であり、その非情さ、残酷さこそが戦いの本質である。
次はどうなるかは…わからない。

彼女は、強くもなければ賢くもない。格好よく生きることはできない。
かといって格好よく死ぬこともできそうになかった。ならば、せめて。
(生きていこう、この力の限り。格好悪くてもいいですから)
泥にまみれても、生きていく。今は亡き、彼女をかつて助けてくれたアルスがそうだった。
石版世界の旅の中で幾度も罠にはめられ、数え切れないほどに辛酸を舐めさせられたという。
彼女の住むダーマでも呪いの儀式によって力を奪われ、闇の地帯に落とされた。
しかし、並大抵の人間ならば、絶望の奥底に身を貶めてしまうに違いないその場所から、
アルスは…這い上がってきてくれたのである。

『私はもう誰も信じはしない。
 所詮私を信じるというお前の言葉が真偽など……誰も証明できんのだ!』
『私が証拠になります! 私がずっとあなたの傍にいて、それを証明し続けます!!』

アレフたちが駆けつけてくれる前、ピサロの投げかけに彼女はそう答えた。
嘘偽りのない心からのものであったし、今もその気持ちは変わっていない。
しかし、わかっていた。ピサロを止めえたのはアレフたちの勇気であって、自分ではない。
私は未だ何も為せてはいない。けれど、一体何を、どうすれば証明することができるのか…

答えは出ない。未だわからない。だけど、そう…だからこそ、探すのだ。
それが、自分の意志で歩くということ。そしてそれが、『生きる』ということ。
この命ある限り、彼女の戦いはまだ終わらない。
私を生かしてくれた人々のために…そして、私自身のためにも。
わずかばかりでもいい。いずれは忘れ去られてもいい。
だけど、今この世界に、傷つき倒れた人がいる。悩み苦しむ人がいる。
そんな時、そっと差し伸べて支えてあげられるような手が欲しい。
小さくてもいい。かすかでもいい。そんな暖かな手に…私は、なりたい。
 
 
そう心に決めた時、ようやく身の安全を確認して安堵したのか、
アルスの忘れ形見であったレオンが袋の中から飛び出して、
まだ血痕のこびりつく、今の主の顔を舌で優しく撫でる。

『しっかりしなさい』『大丈夫、君にならできるよ』と言っているようだった。

誰かの代わりに励ましてくれているようだった。
それはそう、あの時かすかに聞こえた、懐かしいあの声のように…
 
 
 
…まわる、まわる、舞台はまわる。
踊る、踊る、未だ続く戦士たちの演舞。

どこへ行くのか、道は見えない。
何をすべきか、誰も知らない。
答えはその頭に刻まれず、光明はその瞳に灯されることもなく。

だけど、それでも彼らは行く。
立ち止まることは許されなくて。
あきらめることに耐えられなくて。
彼らは行く。存在しないかもしれない答えを探して。
彼らは進む。ありもしないかもしれぬ光を求めて。
彼らは踊る。踊り続ける。その幕が降りるまで。
あるいは何者かの手によって、舞台から引きずりおろされるその時まで…

まわる、まわる、舞台はまわる。
踊る、踊る、あがき続ける愚者たちの輪舞。
 
 
命を、己の誇りをかけたその演目…未だ、終わるところを知らず…


【E-3/ナジミの塔上層部/午前】

【アレフ@DQ1勇者】
[状態]:HP1/8 MP1/6 背中に火傷(軽) 左足に刺傷(悪化) 満身創痍 放心状態
[装備]:竜神王の剣 ロトの盾 風のアミュレット
[道具]:鉄の杖 消え去り草 ルーシアのザック(神秘のビキニ) 奇跡の石
     神鳥の杖(煤塗れ) 鉄兜 ゴンの支給品一式 ルビスの守り アサシンダガー
[思考]:このゲームを止めるために全力を尽くす  ローラの死を悟る…

【E-3/ナジミの塔最上階/午前】

【エイト@DQ8主人公】
[状態]:HP1/4 MP1/10 左肩にダメージ 背中に打撃 腹部を強打 火傷 疲労
[装備]:メタルキングの槍 はやてのリング
[道具]:支給品一式 首輪 あぶないビスチェ
[思考]:仲間(トロデ・ローラ優先)を探し、守る  危機を参加者に伝える
     竜王を警戒?(今はアレフの判断を信用)
     アレフをローラの元に連れていく(※エイトはローラの死をまだ知りません)

【フォズ@DQ7】
[状態]:HP1/6 MP0 全身打撲 肋骨にヒビ・内臓に損傷(エイトによって治療)
[装備]:天罰の杖
[道具]:アルスのトカゲ(レオン) 支給品一式
[思考]:ゲームには乗らない ピサロとともに生きる

【ピサロ@DQ4】
[状態]:HP1/10 MP1/10 右腕粉砕骨折(固定) 全身打撲  眠り
[装備]:鎖鎌 闇の衣 炎の盾 無線インカム
[道具]:エルフの飲み薬(満タン) 支給品一式  首輪二個  ピサロメモ
[思考]:沈黙…(ロザリーの仇討ちとハーゴンの抹殺を諦めたわけではない)


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