一覧 ▼下へ
[No.106]
 闇へと零れ落ちる涙[1]
【登場人物】
ピサロ、フォズ

緑の影が、少女の服の中から顔を覗かせる。
少女の涙の跡を、蜥蜴は舌で舐めとった。
闇に包まれつつある世界に、荘厳な鐘が鳴り響く。
それは、死を告げる声。
 
 選ばれし生贄諸君、無事で何よりだ…

耳にと心に障る声が、どこかから流れていた。
ピサロは特に意に介していないのか、そのまま歩みを止めない。
そして、告げられる名。
聞こえるわけは無いのに、一つ一つの死に対する嘆きが耳に飛び込んでくるようだった。
そんな中、フォズは刻一刻と迫る、聞こえるであろう名に対して心を鎮めていた。
フォズは、いつしか心の底で悟っていた。
大切な人達の、死を。
「アルス」
「マリベル」
「メルビン」
ああ、神よ!
立て続けに告げられた知己の友の名にフォズはぶる、と震える。
フォズは既に涙を流した。
止め処ない感情の激流は地へと落としきったつもりだった。
死と生の狭間で、これが彼らとの永久の別れになるであろう事は、理解したはずだ。
でも。
叫ばずにはいられない。
唇をぎゅっと噛み締め、フォズは必死に動揺を隠した。
ふと、自分を抱く魔王を見上げる。
人の死に悼む様子も、嘆き悲しむ様子もない。
やはり人の死などは気にも留めない、冷徹なる魔王だったのか─

だが、フォズの絶望に拍車をかけるような考えは一つの名によって掻き消される。

「アリーナ」

その名を聞いたとき。
ほんの僅か、今まで能面のようにピクリともしなかった魔王の表情が曇った。
瞬きでもしていたら見逃してしまいそうな、微かな曇り。
だが、それはその名が呼ばれた事実が、彼の心に楔として突き刺さったことを示していた。
「…誰か、お亡くなりになったのですね」
「…構わん。それより話を聞かせろ」

─ねえ、ピサロ?─
可笑しな娘だった。
自国の民の仇、とも取れる相手にも気軽に話しかけてきた。
おまけにそれは、その国の姫君と来ている。
どこぞの喜劇でも、有り得ないような話だった。
─何であなた武術大会の時逃げちゃったのよ?あたし楽しみにしてたのにさ…─
─…喧しい。どうでも良いだろう─
勇者一行に故あるとはいえ、組することになった当初。
声なぞ到底掛けられることは無いだろう。
恨まれ、憎まれ、侮蔑の視線でも送られる。
そう思っていた。
─良くないっ!めでたく勝って、ぱんぱかぱーん!って優勝したかったんだもん。決着つけたかったな〜─
─………─
だが、違った。
確かに最初は皆が皆、恐れたり、憤ったりで相手になどしていなかった。
しかし、アリーナが声を掛けてきてからというもの、他の皆も徐々に距離を埋めていったのだ。
─!ははーん、さては、怖気づいたのね?魔族の王とやらが、お姫様にビビるなんてね〜─
─…貴様…私を愚弄する気か?…─
─ね。決着、つける?─
─…よかろう─
人と共に生きるとは、こういうことか。
ロザリーの言っていたことが、少し解った。
ピサロは遠い日を、思い出した。

「……それでは、これより転職の説明をさせていただきます…」
「…」
フォズの声で現実に引き戻される。
儀式めいた、淡々とした声。
彼女はいつもの仕事のように、透き通った声で説明を始めた。

「転職とは、自らの生き方を見つめ直し、新たな生き方を指し示す力…」
「…おい」

ピサロは気づいた。
少女の変化に。
「その能力も、姿さえも変えてしまうほどの力を…」
「…泣くな」
「…泣いてません」
抑えた筈の涙がぽろぽろ溢れ出ている。
彼女の頬を、そして流れ落ち魔王の腕を濡らす。
「…泣くんじゃない」
「…泣いて…ませ…ん」
嗚咽交じりに、必死に説明を続けている。
顔は歪めず、ただただ涙が溢れるのみだ。
「…もういい。何故泣く」
「…私が…いるから……泣けない…あなたの…代わりに…私は、泣いて…います」
泣く?
私は魔王だ、死の一つや二つでは泣くわけが無いだろう?
今までで泣いたことは一度きり。
愛する者の死によって、だ。
だが。
泣きたい、と言うより…『悲しい』というべきか、この感情は。
僅かながら芽生えていたことは、紛れも無い事実。
「……莫迦か…お前は…」
ピサロは、少しだけこの少女を護ってみたくなった。
愛するエルフのように、優しさに触れさせてくれたから。
[Next] [Back] □一覧 △▲上へ


闇へと零れ落ちる涙[1]
について管理人にメールする
件名:(選択)
内容: